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2011年度は有識者の皆さんと会員から、24人と2団体合わせて26の候補があがりました。当初、二つの枠の一つは震災関連にあてたいと考え、候補にあがった団体、個人、また、さらにふさわしい候補はいないか検討しましたが、これまでと違い震災の範囲が広いこと、まだいろいろなことが終わっていないことなどから、一人、一団体にしぼることができませんでした。しかし、3.11以後、私たちは「命とは?」「メディアとして何をすべきか?」ということを問いつづけた一年であったため、結果的には震災と関係があるお二人になったと思います。また、パーティーに大勢の人を呼び華やかにすることより、SJとして本当に応援したい人に差し上げようとしたのも今年度の特徴でした。
12月27日第一回選考委員会、1月12日第二回選考委員会を開催しました。その結果、3年連続死刑問題に取り組み、重い感動的なドキュメンタリーを制作したディレクターの堀川惠子さんと、インターネットで新しいメディアの在り方を模索してきて10年、NPO法人OurPlanetTV代表理事の白石草さんお二人に決まりました。
堀川さんは、震災も戦争も被害者の命も死刑囚の命も根っこは一つとおっしゃって、“人の命”をみつめ“命”と向き合って来られました。また、堀川さんと同じようにフリーランスで働く女性ディレクターの仕事がさらに広がるためにもお受けいただきたいとお願いしました。白石さんは、2008年例会で「市民メディアのこれから」ということでお話いただいています。原発事故発生直後、既存メディアは情報提供が充分にできなかったときに、被災地の情報をいち早く発信し、その後も独自の視点で発信し続けていらっしゃいます。「私は放送ではないけれどいいのですか」と聞かれましたが、今は放送も通信も融合し、お互いに刺激し合っていくことが大事と考えました。
そして、贈賞式とパーティーは3月14日、帝国ホテルで行われ、お二人の関係者と有識者そして会員あわせて69名の出席で温かな和やかな会となりました。皆さまのご協力ありがとうございました。
(放送ウーマン賞2011選考委員長 広田綾子)
放送ウーマン賞2011 受賞者
ドキュメンタリー・ディレクター
堀川 惠子(ほりかわ けいこ)さん
1969年、広島県生まれ。93年広島テレビ放送入社。報道部にて警察、司法、県政担当記者、経済・市政クラブキャップ、ニュースデスクをへて退社。2005年よりフリーランスのディレクター。ノンフィクション作品の執筆も手がける。
1997年 | 「島で死にたい ある老人ホームの破綻」 |
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2002年 | 「マツダ再生への道 日米自動車野郎たち」NNN優秀賞 |
2003年 | 「ニッポンの筆 世界に挑む」ギャラクシー賞、民放連盟賞優秀賞等 「チンチン電車と女学生」放送文化基金賞、民放連盟賞最優秀賞等 |
2004年 | 「折り鶴はこうして集まった」厚生労働省福祉文化財推薦 |
2005年 | 「ヒロシマ・戦禍の恋文」(NHK)ATPテレビグランプリ優秀賞 |
2007年 | 「田原総一朗SP/BC級戦犯124通の遺書」(テレビ朝日) |
2008年 | 「新藤兼人95歳 人生との格闘果てず」(NHK) |
2009年 | 「死刑囚・永山則夫 獄中28年間の対話」(NHK)ギャラクシー賞大賞、アメリカフィルム・ビデオ祭銀賞等 |
2010年 | 「死刑裁判の現場 ある検事と死刑囚の44年」(NHK) |
2011年 | 「法務大臣の苦悩 死刑執行の現場」(NHK) |
2009年 | 「死刑の基準」(日本評論社)第32回講談社ノンフィクション賞 |
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2011年 | 「裁かれた命」(講談社)第10回新潮ドキュメント賞 |
2012年 | 「絞首刑は残虐か」(岩波書店「世界」1,2月号) |
贈賞理由
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20年にわたりテレビ報道の現場で、「人の命」をテーマにした優れたドキュメンタリー番組の制作を続けてこられました。なかでもNHKのETV特集では、2009年「死刑囚永山則夫 獄中28年間の対話」、2010年「『死刑裁判』の現場 ~ある検事と死刑囚の44年」そして2011年「法務大臣の苦悩 ~死刑執行の現場」と3年連続で死刑問題に取り組み、質の高いドキュメンタリー番組を制作、本にもまとめられました。刑罰の一つとしての「死刑」を、被害者の命と更生の道を閉ざされ処刑される死刑囚の命、ともに「命」という視点から見つめ、罪と罰のあり方に対する問題提起を続けていることに敬意を表し、またフリーランスの立場からの意欲的な企画を世に問う場が更に広がることを願って、放送ウーマン賞2011を贈ります。
受賞者挨拶
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私たち放送現場で働くフリーのディレクターにとっては、環境は非常に厳しくなっていて、どうしても目の前のことに追いついていくのが精一杯というような現状が残念ながらあります。そういう中で一人一人がどこまで志をもって、どこまで一人の力で耐えて、そして日々の動きを追うだけではなく、本当に知らないといけない真実は必死で探らないと出てこない、ということを肝にすえていくか。伝えるべき情報を伝えていかなればならないということを私自身、痛切に感じています。これからの番組制作においても、引き続きこういう気持ちでやっていきたいと思います。
一個人、一人の人間、一人のディレクターとして今後、番組を作っていくにあたって、“3.11”の現象を自分の中でどう位置づけていくかということは、ずっと悩んでいます。悩みながらも今ある武器で戦うしかない、というのが今の自分の答えです。アメリカの報道が9.11から全く変わったように、すごく大きなシフトを迫られている中で、一人のジャーナリスト、一人のディレクターとして、これから今まで自分がやってきた司法の問題も含めてどういうふうに取り組んで発信していくべきなのかは、すごく大きな課題を背負わされたなという気持ちでいますが、この現場にたっている以上、“プロフェッショナル”でないといけないなと、強く実感しています。
放送ウーマン賞2011 受賞者
NPO法人OurPlanetTV代表理事
白石 草(しらいしはじめ)さん
1969年、東京生まれ。早稲田大学卒業後、テレビ朝日系の番組制作会社を経て、1995年、東京メトロポリタンテレビジョンに入社。ビデオジャーナリストとして、ニュース・ドキュメンタリー番組の制作に携わる。2001年に独立し、非営利のインターネット放送局OurPlanetTVを設立。マスメディアの扱いにくい事象を中心に番組を制作配信する一方で、市民向けの映像ワークショップを展開。当事者による映像発信の支援を行う。現在、一橋大学大学院社会学研究科客員准教授及び早稲田大学大学院政治学研究科ジャーナリズムコース講師。主な著書に「ビデオカメラでいこう」(七つ森書館)「メディアをつくる 「小さな声」を伝えるために」(岩波書店)。2010年に制作した「宮下公園 TOKYO/SHIBUYA」は、地方の時代映像祭の市民部門優秀賞を受賞
1996年 | 「水俣に出会った高校生」(TOKYO MX) |
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1999年 | 「暴力が止まらない 子ども虐待」(TOKYO MX) |
2004年 | 映像ワークショップ |
2006年 | トーチプロジェクト |
2008年 | G8メディアネットワーク |
2010年 | 「宮下公園.TOKYO/SHIBUYA」 |
2011年 | 「子どもを襲う放射能の不安.集団疎開は必要か」(OurPlanetTV/朝日ニュースター) 朝日ニュースターで編集権の独立した番組「ContAct」 |
2012年 | 「私たちの未来は大丈夫? 子どもが考える原発と被曝」(OurPlanetTV/朝日ニュースター) |
贈賞理由
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2001年の設立時からインターネットの特性を生かし、マス・メディアと異なる視点で発信する新しいメディアのあり方を模索してこられました。特に2011年の原発事故では、発生直後から他のフリージャーナリストたちと協力し、放射能汚染について被災地の様子をいち早く伝えるとともに、独自の視点で発信を続けています。また被曝への疑問や不安を持つ子どもたちの取材活動をサポートした番組「私たちの未来は大丈夫? 子どもが考える原発と被曝」は、インターネット配信だけでなく、CS朝日ニュースターでも放送され、メディアの在り方に新たな可能性を示しました。メディアの多様性を自らの行動で示し続けた10年間の活動に敬意を表し、放送ウーマン賞2011を贈ります。
受賞者挨拶
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インターネットメディアといってもまだまだ偏見もあり、取材をする際も困難な状況も時にはある中で、こういう伝統のある賞を頂くことで、少しでも多くの方に知って頂きたい、少しでも取材をやりやすくしたいという気持ちもあって、今回お受けさせていただきました。そして、この受賞が決まった直後に福島に入った時に、すごく沢山の方から「受賞おめでとうございます」と声を掛けて頂きました。多くの人が同じように喜んで下さる。放送と通信と違いはありますが、見ている方がいる限り、堂々と頑張っていこうと思いました。
“3.11”以前に戻ることはできない中で、自分自身が何ができるのか、必死で多くの方々が取り組んでいらっしゃると思います。私自身も本当に小さいメディアですが、引き続きできることを精一杯やっていきたいと思っています。おそらくメディアの現場でもそういうことを考えて取り組みをされている方がたくさんいると思いますが、願わくば、放送の世界の方々には、本当に今何が起きているのかを、もっと強く、一緒になって伝えていってほしい、と思っています。