放送ウーマン賞

放送ウーマン賞2019

放送界で活躍し優れた功績をあげられた女性にお贈りしている『放送ウーマン賞』について、2019年度は2回の選考委員会をへて検討した結果、沖縄テレビ放送株式会社の平良いずみさんと、株式会社テレビ朝日の松原文枝さんのお2人に決定しました。
また、50周年の節目にあたり、スタイリストで、株式会社コンテンポラリーコーポレーションのチーフスタイリストでもある西 ゆり子さんに『日本女性放送者懇談会50周年特別賞』をお贈りします。

放送ウーマン賞2019選考委員長  篠原朋子(NHK学園)



放送ウーマン賞2019 受賞者

沖縄テレビ放送株式会社 報道制作局

平良いずみ(たいら いずみ)さん

1977年那覇市生まれ。琉球大学を卒業後、1999年沖縄テレビ放送入社。アナウンサーとして取材活動を続け、ドキュメンタリー番組を制作。現在『OTVLiveNews it!』のキャスターを務める。『どこへ行く、島の救急ヘリ』(2011年)で民間放送連盟賞テレビ報道部門優秀賞などを受賞。『シリーズ復帰を知る』でギャラクシー賞報道活動部門優秀賞。『まちかんてぃ~明美ばあちゃんの涙と笑いの学園奮闘記』(2015年)で民間放送連盟賞教養番組部門優秀賞。『菜の花の沖縄日記』(2018年)で第38回「地方の時代」映像祭グランプリ、民間放送連盟賞報道番組部門優秀賞を受賞。2月から映画『ちむぐりさ 菜の花の沖縄日記』を公開中。

贈賞理由

地元出身のアナウンサーでローカルニュース番組のキャスターをつとめる平良さんは、基地問題などを取材、発信してきたディレクターでもあります。育児休職後、2018年に制作した『菜の花の沖縄日記』は、感動的なドキュメンタリーとして高く評価されました。石川県出身で小学生の時にいじめを経験し、沖縄のフリースクールで高校3年間を過ごした坂本菜の花さんの素朴な感性と基地問題が重なり、生活者に寄り添った視点が秀逸です。2020年2月には、辺野古埋め立ての県民投票をめぐる動きも盛り込み、映画『ちむぐりさ 菜の花の沖縄日記』として公開されています。「基地問題は沖縄県民にとって暮らしと命の問題」という平良さんが、今後も沖縄のメディアの一員として発信を続けることを確信して「放送ウーマン賞」をお贈りします。

受賞者挨拶

私には身に余る賞ですが、沖縄の制作者へのエールと受け止め、栄誉に浴したいと思います。沖縄のローカル局の小さな取材活動に光を当てていただき、ありがとうございます。
今回、映画化した『ちむぐりさ 菜の花の沖縄日記』は、沖縄の米軍基地周辺で子どもの命が脅かされることが頻発し、それでもなお、この状況を放置し続ける日米両政府に、この国で生きる人々に、沖縄の声、とりわけお母さんたちの声を届けたい…、その一心で制作したものです。もし、自分の子どもや孫が通う学校に、重さ8キロもあるヘリの窓が落ちてきたら…。おなじ空の下で生きる女性たちが想いを巡らせ、つながり、共に声をあげてくれた時、この国はきっと少しだけ変わると思っています。沖縄の小さな声を広げるため、引き続きお力を貸してください。
「生活者としての実感、本音でつくること」をモットーに、地に根を張った大根足のひとりのオバちゃんとして、これからもしつこく、ただひたすら沖縄の声を伝えていきたいと思っています。子どもたちの明日のために…。

放送ウーマン賞2019 受賞者

株式会社テレビ朝日 総合ビジネス局

松原 文枝(まつばら ふみえ)さん

1990年東京大学卒。金融機関を経て1991年テレビ朝日入社。秘書課を経て、1992年から政治部・経済部記者。2000年に『ニュースステーション』、2004年『報道ステーション』ディレクター、2012年から同番組のチーフプロデューサーとなる。2015年に経済部長、2019年7月からは、総合ビジネス局イベント事業部イベント戦略担当部長。企画・立案・制作した『報道ステーション』「特集 独ワイマール憲法の“教訓”」(2016年3月放送)でギャラクシー賞テレビ部門大賞、日本ジャーナリスト会議賞、メディア・アンビシャス入選。

贈賞理由

27年にわたり報道一筋で活躍した松原さんは、ヒトラーとワイマール憲法の関係を多角的にリポートした『報道ステーション』の「特集 独ワイマール憲法の“教訓”」を制作し、ギャラクシー賞大賞を受賞するなど高く評価されています。2019年に放送された『テレメンタリー』「史実を刻む~語り継ぐ“戦争と性暴力”~」は、満州で行われていた「性接待」をテーマにした番組です。制作は報道局から異動し総合ビジネス局の担当部長になっても続けられました。老女たちの無念を証言が得られるうちに伝えなくては、という強い使命感で完成させた労作です。「権力の監視」と「視聴者のための報道」こそがメディアの役割、という信条を貫いてきた松原さんに、心からのエールをこめて「放送ウーマン賞」をお贈りします。

受賞者挨拶

この度は、歴史ある賞を頂き、有難うございます。これまで支えて下さった先輩、同僚、後輩、取材先、そして視聴者の皆様のお陰です。感謝の気持ちで一杯です。
報道は、日々、歴史を刻むことだと思っています。視聴者に対して、今何が起きているのか、また、その深層を伝えるということを常に意識してきました。
権力を監視するのはメディアの役割です。ニュースステーション、報道ステーションを通じて、政治は私たちの社会のあり方、生活に直結しますから、国民の立場に立って、伝えようと心掛けてきました。選挙の時には、選挙前の報道こそが大事なので、投票1か月前から毎日選挙企画をやったり、予算や法案などが決まる過程にどんな背景があり、その意図は何か、そこを伝えるよう、チームで力を合わせてやってきました。
番組を離れた後の特集「ワイマール憲法の教訓」は、憲法改正が現実味を帯び、自民党草案の緊急事態条項によって何が起こりうるかを予見しなくてと強く思い、また、テレメンタリー「史実を刻む~語り継ぐ“戦争と性暴力“」は、犠牲になった女性たちの勇気と覚悟に突き動かされるとともに、公文書改ざんが平然と行われる中で、市井には、不都合な歴史に真正面から向き合う人たちがいることを伝えたくて制作したものです。
今は、新しい部署で、経済シンポジウムを一から立ち上げています。協賛金を集め、企業のシビアな評価を受けながらやっています。中々ハードルは高いですが、これからも社会課題の解決につながる提案を打ち出していきたいと思います。

日本女性放送者懇談会50周年特別賞 受賞者

スタイリスト
株式会社コンテンポラリーコーポレーション チーフスタイリスト

西 ゆり子(にし ゆりこ)さん

1974年、スタイリストとして独立。『MISS』『non-no』などの雑誌や広告のスタイリングを手がけた後に、『11PM』『なるほど!ザ・ワールド』を皮切りに活動の場を広げ、テレビ番組におけるスタイリストの草分け的存在となる。現在はテレビドラマを中心にバラエティ・歌番組・CM・映画とジャンルを問わず活動。これまで『ギフト』『きらきらひかる』『電車男』『のだめカンタービレ』『セカンドバージン』『リーガルハイ』『FIRST CLASS』『家売るオンナの逆襲』『時効警察はじめました』等150以上の作品を手掛け、専門学校で講師を務めるなど後進の育成にも力を注いできた。最近では社員研修や講演のほか、これまで培ったスタイリング術をメーカーや百貨店の売場へ展開するなど、新たな領域を切り拓いている。

贈賞理由

かつて『なるほど!ザ・ワールド』の楠田枝里子さんの衣装を担当していた西ゆり子さんは、今も人気俳優の指名を受け続けるドラマスタイリストの第一人者です。『セカンドバージン』『家売るオンナの逆襲』他、これまでに手掛けたドラマは150本以上。ファッションセンスを常に磨き続け、トレンドを意識しながらもオリジナリティーを追求して、役の人間性をみごとに表現してきました。「ドラマの台本を読むと、自然と映像が浮かんで主人公が動きだす。私はそれを忠実に再現するだけ」という西さんには、俳優からも演出家からも絶大な信頼が寄せられています。
幅広い温かなネットワークを大切に、40年以上にわたり常に第一線で活躍してきた西さんに、最高の敬意をこめて日本女性放送者懇談会50周年特別賞をお贈りします。

受賞者挨拶

これまでの活動に対して、このような立派な賞をいただけることに驚きと感謝の気持ちでいっぱいです。
1970年に雑誌『an・an』が創刊されました。ファッションのモードを作り上げる舞台裏が紹介され、私はそこで初めてスタイリストという職業を知り「これだ!」と思いました。これこそが私のしたいことなのだと。あれからおよそ45年、私は憧れだったスタイリストとなり、今も現場を走り回っています。
テレビ業界で初めてのスタイリングは『なるほど!ザ・ワールド』の楠田枝里子さんです。バラエティー番組の楽しさを「これでもか!」というほど派手なスタイリングで創りましたが、その過程はまさにコンテンポラリーで、芸術を作るような刺激的な経験でした。
その後、山口雅俊プロデューサーと河毛俊作監督にお声掛けいただきテレビドラマの世界へ。ドラマのスタイリングは地道な作業です。登場人物を派手にし過ぎず地味にもし過ぎず、日常のワンシーンを描いていくことの積み重ね。しかし、これが実に面白い!脚本に書かれたキャラクターを監督らとともに話し合いながら、私はすべての要素を包括し、ファッションでドラマを表現していく。スタイリストは、ただ服を着せればいいだけではなく、ファッションで人間を表現するクリエイターなのだ、と胸に刻みました。
また、スタイリストは一人ではできない仕事です。アシスタントの力、デスクの腕、メーカーの協力等、多くの方のサポートがあって初めて成立します。私ひとりでは何もできませんでした。感謝申し上げます。そして、仕事ばかりの私と3人の息子に寄り添って、すべてを支えてくれたのは昨年他界した主人です。受賞のお知らせをいただいたとき、彼がもらったのだと思ったくらいです。ありがとう。
これからも走り続けます。一個人ではなく、スタイリストという職業の新しい可能性を切り開くことができたのならば、これほど幸せなことはありません。

放送ウーマン賞に寄せて

東京藝術大学 理事

国谷裕子さん

放送ウーマン賞の贈賞式が新型コロナウィルスの感染拡大によって中止となりましたこと、大変残念です。
今回は日本女性放送者懇談会にとって50周年の節目の年、放送の現場に女性がいて、働き続けることが当たり前ではなかった時代から、組織を越えて互いにつながって学び、放送人を育てる活動を続けてきたことに深い敬意を覚えます。
私は1997年に放送ウーマン賞に選んでいただきました。当時担当していた「クローズアップ現代」がスタートして5年目のことです。バブル崩壊後、日本社会に痛みが押し寄せていた時代、それまで国際報道しか担当したことがなく、国内の政治、経済、社会のニュースを伝えた経験のないまま番組のキャスターとなり、その事態の深刻さに戸惑うことの連続でした。そうしたなかで「放送ウーマン賞」をいただき、「今のまま続けていけばいいのだ」と背中を押されたようで、とてもありがたかったと記憶しています。
放送現場では、提案の採択や編集判断を行う地位にあまりにも女性が少なく、いまだに女性の声が十分に反映されず、重要なテーマが女性の視点で報道されていないように思えます。男女平等において日本は世界から大きく後れをとり、性別役割分担意識の解消もなかなか進みません。そうした状況を変革していく役割を放送は果たさなければなりません。放送の現場で働く女性たちを励まし育ててきた日本女性放送者懇談会のこれまでの歩みが力強く継承されて、放送の現場が変わり、そして放送も変わっていくことを期待したいと思っています。




スポーツジャーナリスト

増田明美さん

放送ウーマン賞を受賞された平良いずみさん、松原文枝さん、おめでとうございます。きっとこれからの活動に弾みがつきますね。
私が受賞したのは2000年、シドニー五輪で高橋尚子さんが金メダルを獲った時の解説です。今のような小ネタをペラペラ喋らなかったのが良かったのかも。というのもあの時は、実況の森下桂吉さん(テレビ朝日)がスタート前に「レースが面白かったら僕は黙るから宜しくね」と。えっ?きっと森下さん、主役は選手!選手の動きをしっかり観ましょうと言いたかったのでしょう。お陰で競技を解説することが出来ました。解説者はアナウンサー次第ですね。
受賞後、千葉の実家は大騒ぎでした。父は記念に大きな庭石を買い、それは今でも玄関前に鎮座。トロフィーも居間の一番目立つ所に。私って、五輪は途中棄権してしまうし、引退後に頂いたラジオの仕事では「結納」をケツノウと読み…。両親はヒヤヒヤしっぱなし。親孝行出来ました。本当にありがとうございます。それから自信が持てて、放送の仕事に失敗しながらもどんどんチャレンジしています。
思い出すのは、授賞の時「なぜウ-マンとわざわざつけるのですか?」とお聞きすると、「昔は男女平等ではなかったから、こうしてアピールしないといけなかったのです」と担当の方が。先輩方の努力が実り、今はウーマンと冠をつける必要もなくなりました。目標を達成して美しく退く!ここも見習いたいところです。